2010年12月14日

京王線の昔のダイヤを作成してみる(2)

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 昨日に引き続き、京王線の昔のダイヤを作成し、振り返りたいと思います。

 その(2)は、新宿~橋本間に特急(通称橋本特急)が新設された1992年のダイヤ前後についてコメントします。

 この1992年の京王線のダイヤ改正はオイラにとってダイヤ研究趣味を始めるきっかけとも言えるもので、通学で利用することから何気なく時刻表を購入したことが、まさかここまでドップリはまるとは思えなかったなぁ・・・

 それまでの京王線のダイヤも結構カツカツだったので、橋本特急が単純な増発とは考えられず、おそらく普通が間引きされるんだろうなんて思っていたら、まさかの単純増発で、しかもその増発列車が徐行タップリ列車だったことが、研究意欲を沸きたてたとは大げさですが、そんな状況でした。

 千歳烏山利用者だったので、目の前をガラガラの橋本特急がノンビリと通過していくのを見るたびに、ため息が出たものです。

 今となっては懐かしい思い出ですね!!

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写真-1:1992年の橋本特急設定直前の新宿発時刻表

 昨日UPした1984年頃のダイヤは、たまたま古い時刻表を拝見する機会があった時に必要な時間帯だけコピーしたものを参照しました。

 よって、その後の変遷はオイラの研究対象時期から外れているので詳細不明ですが、橋本特急設定直前の新宿の時刻表があったので確認すると、高幡不動行の普通が高尾山口に延伸されていたり、つつじヶ丘行普通が橋本行になっている(午前中は間引時間帯もありますね)ことから、相模原線の南大沢延伸、橋本延伸等を経て、すこしずつ普通列車の利便性向上が図られたものと思います。

 設備的にも1989年に府中の下り線高架化が完成して下りの緩急接続が可能になったり、北野の高架化が完成して終端部輸送を変更することが可能になるなど、輸送構造上の変化点ではあったと推測されます(正直この頃のことは良く知りません・・・)。

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図:1992年5月29日改正ダイヤ(橋本特急新設)

 さて、1992年5月29日改正ダイヤです。

 笹塚~調布間が21本運転のダイヤという事で、現行の調布以遠に京王線12本、相模原線9本が設定されている事から、調布折り返し無しとすると「走らせなければならない本数」をこなしたパターンという事になりますが、やはり色々な意味で無理が生じていることが分かります。

 実は基本的なパターンは昨日提示した1984年のパターンと大きく変わっておらず、橋本特急スジを引くため、八王子特急の明大前~八幡山間、快速の桜上水~つつじヶ丘間のスジを寝かせています。

 すなわち優等スジだけ見れば従前のスジは21本設定する上で引けなかったという事でしょう。

 橋本特急が徐行ばかりであっても、決して途中停車する余裕が無いことも見逃せません。

 それが21本体制のダイヤであるという事を認識しておく必要がありそうです。

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 以上のような若干の弊害はあったものの、相模原線内の快速と普通は概ね10分間隔になり、橋本特急は京王多摩センターで快速と緩急接続するパターンを構築することができ、相模原線の利便性は大きく向上しました。

 元々は通過運転の快速と各駅停車の6本体制ですから、確かに数字上はそうなります。

 しかし、これまでのダイヤが特急(調布乗換え)各駅停車もしくは快速という利用パターンだったのに対して、特急から普通に乗り継ぐことが出来なくなったため、従来の特急より3分遅い橋本特急に乗り、調布で3分連絡の普通に乗り換えるという状況は決して便利なものではありませんでした。

 従来どおり八王寺行特急に乗り、調布で相模原線方面に乗り換える人は依然としていたことから、快速の混雑が顕著に目立ったのを記憶しています。

 その後1997年12月24日のダイヤ改正で相模原線の各駅停車を調布で2分待たせて八王子特急に接続するようになりましたが、これが橋本特急の意義を更に薄めるものとなったためか、4年後に急行化されることになります。

 橋本特急スジについては、決して京王線系統の優等スジに支障することなく、かつ相模原線内のパターン構成上、こうあるしか無いようなスジで設定されていましたが、その背景には調布の構造など制約が多かったのも事実です。

 調布が地下化された時、新たな意味合いで似たような列車を登場させることが出来るのか、非常に興味深いところではあります。

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 一方、京王線・高尾線系統については、高幡不動以遠の各駅停車が拡充され、特急と急行の運転間隔が偏っているのは維持されつつも、府中における緩急接続、高幡不動もしくは北野での緩急接続がされることで利便性向上が図られました。

 急行を利用しても北野で接続する京王八王子行に乗ることで、新宿~京王八王子間の移動は20分間に2回チャンスが出来ましたが、運転間隔の偏り上従前のダイヤと比べて利便性が大きく高まったという感じにはなりませんでしたね(終端付近の近距離移動は便利になりましたが)。

 そういった部分があって、こちらも4年後の白紙ダイヤ改正に繋がったのだと思っています。

 その(3)に続きます!!

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ご無沙汰しております。

この時期の京王線は学生時代に利用していたこともあり、大変印象に残っています。
正直いろいろ試行錯誤していたなぁというのが率直な感想です。

橋本特急においても、書かれている通り相模原線のエースとしての役割から始まり、橋本各停と京八特急の接続による存在感の薄まりもありますし、夕ラッシュ時、調布における京八各停と接続するようになったりと、いろいろ考えられていたと今になって考えさせられます。

1984年のをベースにしている部分(上りは特急と快速を入れ替えましたが)もあって、あちらこちらに苦しさも見えていたような気がします。


土日は高尾山口各停を調布折り返しにし、臨時急行を挿入するスジもいれる(最大24本/時;これは今でも一緒です)という創意工夫が見られ、そういう意味では過渡期におけるダイヤ予想は楽しかったなぁと感じます。


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