西武線1979年のダイヤを確認してみる!!
先日、西武鉄道時刻表1979年10月創刊号をゲットできたので、当時の池袋線、新宿線のダイヤについて確認したいと思います。
以下、コメントです!!
この時代は特急、急行、準急の3種別のみとなっています。
といっても、同じ種別であっても停車駅が異なっていたり、「休日ハイキング急行」とか「休日急行」とか、快速急行のような種別もあり、実質今とそれほど変わっていないというのは面白いところです。
以下、時間帯別のダイヤを示します。
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<池袋線>
池袋線の朝ラッシュ時については、15分サイクルに急行2本、準急1本、普通4本が設定され、計28本の運転です。
西武秩父もしくは飯能発の急行、所沢発の急行(現通勤急行)、小手指発の準急(石神井公園通過)、所沢、清瀬、石神井公園、豊島園発の普通が各1本ずつ15分サイクルに設定されており、ピーク時は清瀬発の普通が飯能発になっています。
ピーク帯の対応が急行や準急ではなく、普通であるところが面白いところですね。
遠距離区間の本数は現行よりも相当少ないものの、所沢からのパターンは長らく続く(ある意味今も継承している)ものであり、手堅いパターンなのだなぁと感じるところです。
興味深いところとしては、豊島線の列車が直通のみ15分間隔という事です。
後で示す夕ラッシュ時は区間運転が設定されているのですが、練馬のキャパの問題なのか、豊島線からの利用客は直通列車に集中させて、中村橋方面からの普通を混ませたくないためなのか、当時から混雑が厳しかったようなので、どうだったのか興味深いところではありますね。
池袋線の日中時は20分サイクルに準急飯能行1本、普通小手指行1本、清瀬行1本、保谷行1本、豊島園行2本の6本が設定され、毎時1本の特急が加わり計19本の運転です。
この時代は日中時は急行がなく、準急のみですから普通が多い印象ですが、本数的には池袋から離れれば離れるほど減っていく漸減パターンのダイヤになっており、当時の利用用途に沿ったものだったんだろうなぁと思える感じではあります。
豊島園行も近距離区間列車として機能するからこそ直通させていたという感じはしますね!!
池袋線の夕ラッシュ時は30分サイクルに特急1本、急行2本、準急2本、普通6本が設定され、計22本の運転です。
特急は飯能行で、特急と飯能で接続する急行が西武秩父行、残りは飯能行、準急は小手指行になっています。
普通は小手指行、清瀬行、豊島園行が15分間隔で設定されており、急行と石神井公園で緩急接続する列車が準急と以遠で等間隔になるパターンになっています。
準急が特急の後続行になるようにして、優等(急行・準急)が概ね池袋において等間隔になっているなど、優等、普通の運転間隔に配慮したパターンと言えますが、準急が小手指まで先着になっていて急行の待避を受けない形にするためか、多少急行スジが寝ている面もあり所用時間的には日中時の準急と同じであるなど、速達性は今よりも無い感じですね。
ひばりが丘での緩急接続が無いあたりからも、遠距離輸送は急行、中距離輸送は普通という事で石神井公園で切り離している感じも受けます。
そういう意味で捉えると、日中時に準急のみが運転されているあたり、もっとも万能な列車は準急という時代だったのかなぁと(ある意味現行でも)思う次第です。
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<新宿線>
新宿線の朝ラッシュ時は15分サイクルに急行本川越発1本、拝島・西武遊園地発1本、準急新所沢発1本、普通狭山市発1本、田無発1本、上石神井発1本の計6本が設定されているのが基本で計24本の運転です。
2本の急行がで停車駅を変えている(上石神井もしくは鷺ノ宮通過)ものの、基本的に緩急列車が起点方で5分等間隔になるようなパターンになっています。
小平において狭山市発の普通から拝島・西武遊園地発の急行に乗り継げるパターンであるため、所沢方面からは優等が利用できる形になっているのに対して(※狭山市発普通が田無発のパターンでは接続なし)、拝島線方面利用者はこの急行を利用するしかないパターンであるあたり、路線ごとの利用状況が現行とは異なることが伺えますね。
新宿線の日中時は、20分サイクルに急行本川越行1本、普通新所沢行1本、拝島行1本、田無行1本、上石神井行1本の5本が設定され、計15本の運転です。
優等は急行のみで、普通は運転間隔が等間隔になるよう適切に減っていく漸減パターンになっていると言えます。
所沢付近が10分等間隔になるようなパターンはこの時代からなのですね。
他路線との乗換等もありますし、そのあたりは配慮してのことかと思われます。
新宿線の夕ラッシュ時は、15分サイクルに急行本川越行1本、準急拝島・西武遊園地行1本、普通新所沢行1本、田無行1本、上石神井行1本の5本が設定され、計20本の運転です。
朝ラッシュ時のパターンから急行1本を省いた形と言え、拝島線方面が準急になっています。
急行と準急は等間隔ではなく、普通が等間隔になるような運転間隔になっており、緩急接続はやって出来ない訳ではないですが無く、追加追い越しがあるのみです。
準急に乗っても小平で普通に乗り換えることは出来ず、本川越方面利用は急行に集中するパターンになっていますが、キャパ的にOKという事だったのかと思います。
やはり現行とは利用が異なっていた時代だったんだろうなぁと感じますね!!
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以上です。